全ては結局人とヒト。

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日々のこと

人と人が同じ空間で共同作業をするには、それなりのマナーと秩序と雰囲気が必要で、そういうものを自分の生理で壊す人を私は心底尊敬できないんだと思った。

やはり、すべては人と人。そこに思いやりや、優しさや、相手を気遣ってのモノ言いが本当に大事で、そういうものの積み重ねで、人の信頼は成立していく。

効率重視もいけない。感情重視もいけない。その真ん中の最善策を常に考えて、判断して、行動している様を、やはり人はきちんと見て評価してくれていると思う。

厳しい言い方を、愛と受け取るのか、ただ叱られているだけと受け取るのか、受け手は話し手が思っている以上に敏感に察知する。

言い訳なのか、説明なのか、それを無意識に取捨選択しているのと同じ。

同じ内容を話していても、この2つの違いは、受け手が、「これは言い訳だ」「これは説明してくれてるんだ」と捉えるかどうかと同じだ。

特に先輩、上司などの上に立って人に仕事を振る人の場合なんかは特にそういうことに目を向けていけるか、いけてないかが重要だと思う。

自分優先になることも、自分犠牲になることも、抱え込むことも、無責任になることもいけなくて、程良い距離感で、見て、判断する。偉いとか、歳を重ねているからとか、経験がどうこうじゃない。

自分できちんとどういう自分で在りたいのか、どういう上司でありたいのか、明確にする必要があるんだと思った。

若くて、苦しんでいる人は本当にもったいない。そんなことで自分をいじめなくていいのに。

もっと楽に、自分を愛して、自信を持って生きていってもいいのになって。誰も言ってくれないのかなって悲しくなっちゃう。

私もそうだけど、自分しか最高に自分を愛してあげれない。ダメな自分も、頑張っている自分も、どこまで言っても自分は自分から逃げられないから、もっとらしく生きられる自分であろうよ。

無理しなくちゃいけない時もあるけど、今、此処で、それが必要なのか?

もっと大事なところで無理する時が来るのかもしれない。

その時に全力を出せる自分であろう。その時に備えて今を粛々と生きていこう。

若い人がもがいている姿を見て、そんな言葉をかけたくなった、そんな一日でした。

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